8月9日の林修の今でしょ!講座で放送された15代将軍徳川慶喜の大政奉還の本当の狙いや最後、先代たちとは違う場所にあるお墓の理由などをまとめてみました!
教えてくださったのは東京大学教授の本郷和人先生です。
15代将軍 徳川慶喜とは?
在任期間は1866年の12月~1867年の10月のたった10か月ととても短かった慶喜ですが、最後の将軍として大政奉還をしたことでも有名ですよね。
※これは1番短い任期です。
写真も残っていますが、なかなかイケメンな将軍ですよね。
最近の研究で、慶喜が江戸幕府を終わらせた明確な理由がわかってきたというんです。
その理由とは・・
大政奉還の本当の意味とは?
実は慶喜が幕府を終わらせた理由とは、日本が外国の植民地になる危機を救うためだったということがわかってきたんです。
当時の世界情勢を見ると、ほとんどのアジア圏が植民地化されていました。
日本もいつ植民地化されてもおかしくない状況だったんです。
1853年7月8日に江戸湾の浦賀沖にペリーが率いるアメリカ海軍東インド艦隊4隻(いわゆる黒船)が出現します。
あまりの圧倒的な軍事力に当時の幕府は驚き、そんな幕府を見てだらしない、幕府を倒そうと考えたのが倒幕派です。
それによって日本は大きく2つに分けられてしまうことになりました。
慶喜が恐れていたのはまさにその状態で、日本に内戦がおこり国内がボロボロになってしまったら、そこに外国が攻めてきた場合すぐに植民地化されかねません。
そこで慶喜がたどり着いたのが「幕府をなくす」ということでした。
ですがその後新政府軍と旧幕府軍で戦いとなり、戊辰戦争が起こり内戦が起こってしまいます。
ここでも絶対に戦争はしたくなかた慶喜は戦いを放棄し、部下を残し戦いの拠点であった大阪城から江戸城へと逃げました。
これが慶喜の評判が悪い原因です。
なぜ最後まで逃げ切れたかと言うと、当時の旧幕府軍の海軍力は圧倒的に新政府軍に勝っていました。
その決断が評判悪く言われていますが、慶喜が戦いを放棄しなければ日本は植民地化されていたかもしれないと思うと、日本を救った決断ともいえるかもしれません。
ちなみに慶喜は歴代将軍たちとは違い、谷中霊園に眠っています。
先代に申し訳ないという気持ちがあったんでしょうね。
日本の植民地化を救ったかもしれない、慶喜の決断
日本がもしも植民地化されていたらと考えるととても恐ろしいですよね。
最後の将軍として様々な決断を迫られたであろう慶喜ですが、お墓も他の将軍たちとは違う場所にあるというのも初めて知りました。
ただ終わらせたわけではなく、その裏に本当の狙いがあったということは授業などでも正しく伝えていくべきなのかもしれませんね(´・ω・`)